豊臣秀吉が名護屋城内で組み立てて使ったとされる「黄金の茶室」を復元しています。 記録上、「黄金の茶室」は名護屋に運び込まれて4回使用されたことが確認されています。 ・在陣の大名衆とともに茶会(天正20(1592)年5月28日) ・フィリピン使節団に披露(天正20(1592)年7月8日) ・加藤清正の家臣への労い(天正20(1592)年7月) ・明国勅使の歓待(文禄2(1593)年5月23日) 博多の商人である神屋宗湛かみやそうたんが記した茶会記「宗湛日記そうたんにっき」などによれば、 茶室の広さは3畳、組み立て式で、全体が金で包まれていたと記されています。
※事前に使用目的等、適当であるか認められた場合のみの利用できます。
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